全日ジュニアの純粋な"不純物"
2019年1月25日全日本プロレスTV並びにYouTubeの全日本プロレス公式チャンネルにある動画がアップされた。
2019Jr.BATTLE OF GLORY 開幕直前!佐藤光留 特別映像
このように銘打たれたこの動画。
内容は、佐藤光留選手の公開練習の模様を収録した動画に、佐藤光留選手が直前に迫った2019Jr.BATTLE OF GLORYに対し思いの丈を語っている。BGMはない。
この動画で佐藤光留選手は全日ジュニアに対する熱い想いをこれでもかと語っている。
とにかくこの動画を見て欲しい。そしてこれから語るのは佐藤光留選手という一人の男の事を好きな一人の男の戯言である。
佐藤光留と青木篤志だけは他の選手とは違う
2013年全日本プロレスが様々なことが重なり分裂した。その頃の全日ジュニアはまさに焼け野原と言われてもしょうがない状態だった。
多くの選手は分裂の際に作られた新団体へ移籍し、残った選手達も1年経ち2年経ち次々と全日本プロレスを離れていった。
そんな全日ジュニアを守ったのは紛れもなく青木篤志と佐藤光留だった。いや、ジュニアだけでなく全日本プロレスそのものを守っていたと言っても過言ではない。
その後、フリー参戦の選手が上がるようになり、その中には新たに所属となる選手もいた。
そして、近年になり、新人のデビューや岩本選手など若手の底上げ、更には1度全日本プロレスを離れた選手達も再び参戦するようになり、リング上は新たな盛り上がりを見せている。
しかし、青木篤志と佐藤光留という焼け野原状態の全日ジュニアに総てを捧げてきたこの2人。この2人こそが全日ジュニアを守り作り上げてきた。
所属である青木篤志は勿論、パンクラスミッション所属の佐藤光留。この2人がいる所が全日ジュニアだということに異論を唱えるものは居ないだろう。
動画の中で佐藤光留選手は自らのことを不純物と語っている。それは純粋な全日本プロレス所属の人間ではなく、あくまでもパンクラスミッション所属として全日本プロレスのリングに上がっているという意味なのだが、しかし上にも述べたように、佐藤光留を全日ジュニアの屋台骨の1人と思わない人間は居ない。なぜなら青木篤志と佐藤光留こそが全日ジュニアをここまで再興させてきたからだ。2人がいなければ今の全日ジュニアは無い。
ジュニアヘビー級の意味
全日ジュニアは他の団体のジュニアヘビー級のように飛んだり跳ねたりそういった闘いではない。馬場全日本時代からそうだ。最初期のジュニアのエースは渕正信選手と大仁田厚選手。初代世界ジュニアヘビー級チャンピオンはヒロ斎藤選手。その後も菊地毅選手や小川良成選手など、全日ジュニアを彩ってきた選手達はハイフライヤーではなく、レスリングテクニックの猛者とも言える選手達だ。
動画の中で佐藤光留選手は全日本プロレスのジュニアを選んで闘っている以上ジュニアでヘビー級を越えたいと言った。
ジュニアヘビー級というのはあくまでも階級の名称であり、ヘビー級の下という意味では絶対にない。しかし三冠ヘビー級選手権試合と世界ジュニアヘビー級選手権試合が同日に行われる場合は当然のように三冠ヘビー級選手権試合がメインイベントで行われる。
チャンピオン・カーニバルにはジュニアヘビー級の選手が出ることは稀。世界最強タッグ決定リーグ戦もジュニアヘビー級同士のタッグで出場するのは至難の業だ。
だからこそジュニアヘビー級でヘビー級を越えたいと佐藤光留選手は言うのではないのだろうか。
Jr.BATTLE OF GLORYはヘビー級天国と言われる全日本プロレスの中でも必ずジュニアヘビー級に注目が集まるシリーズだ。だからこそジュニアヘビー級の闘いを見せつけるチャンスなのだ。
だからこそ全日ジュニアを作ってきた佐藤光留選手にとって優勝することは当然として、全日ジュニアを見せつける為のもう1つの闘いがあるのだ。
ジュニアの中での闘いとともに、ジュニアヘビー級とヘビー級との闘いでもあるのだ。
そして佐藤光留選手がもう1つ語ったこと
Jr.BATTLE OF GLORYチャンピオンとしてチャンピオン・カーニバルにでたいんですよ
佐藤光留選手はこれまで世界最強タッグ決定リーグ戦には2度(パートナーは2014年青木篤志・2016年スーパータイガー選手)
そして無差別級トーナメントである王道トーナメントには4度出場している。
中でも2014年の世界最強タッグ決定リーグ戦では唯一のジュニア同士のタッグとして、Jr.TAG BATTLE OF GLORY覇者として参戦し、巨漢揃いの世界最強タッグ決定リーグ戦においても5点を獲得し爪痕を残した。
しかし、爪痕を残しただけであってヘビー級を超えたとは言えない。実際翌年以降ジュニアヘビー級同士のタッグはエントリーされていない。
そこで次に狙いを定めるのが全日本プロレスの春の祭典チャンピオン・カーニバルである。
チャンピオン・カーニバルはその名の通り、誰が1番強いチャンピオンか決める大会と言って差し支えない。
そこにJr.BATTLE OF GLORYチャンピオンとして出たいというのだ。
チャンピオン・カーニバルにジュニアヘビー級の選手がエントリーされたのは2016年の青木篤志選手が最後だ。それもジョードーリング選手の欠場により急遽エントリーされたものだ。
その前と言うと2007年大会のTAJIRI選手まで遡る。(当時ジュニアヘビー級と言っていいかどうかは怪しいが)
それだけチャンピオン・カーニバルにジュニアヘビー級の選手が出るということは難しいということである。
しかし、チャンピオンであれば話は別だ。チャンピオンだからチャンピオン・カーニバルに出たいというのは説得力もあるし、無下にされていい提案ではない。むしろ声を上げたのにも関わらずエントリーされないとなればそれ相応の理由が必要になってくる。
その為にも佐藤光留選手はこのリーグ戦を勝ち抜かなければならないのだ。
不純による純粋
佐藤光留選手は動画の中で全日本プロレス内での立場についてこう語っている。
今年の1月2日に、岡田佑介がチャンピオンの岩本煌史に挑戦表明する時に「自分は純粋な全日本プロレスだ」っていうようなことを言ったんです。
岡田っていうのは、練習生から入ってきて全日本プロレスでデビューして、全日本プロレスのままタイトルマッチをやってる「自分は純粋な全日本プロレスだ」って言ったんですよ。それみてたら、いまだに全日本プロレスの所属でもない自分は完全な不純物だなと思ったんですね。
確かにその理論でいえば佐藤光留選手は「不純物」だ。
しかし再三言っているように、全日ジュニアの純は青木篤志と佐藤光留である。
この不純による純粋こそが全日本プロレスのジュニアヘビー級である。
どんな不純なものであっても、想いがあれば純粋になれるんだ
そう語る佐藤光留選手はこれを証明するために闘うのだ。
これを証明することができた時、全日ジュニアはまた1歩先へ進むことが出来るのだと思う。
証明して欲しい。見せて欲しい。そしてそれが出来るのは佐藤光留選手しかいない。
"不純物"のままで
僕はこういった佐藤光留選手の言葉、行動、闘い、総てが好きだ。だからこそ、佐藤光留選手がチャンピオン・カーニバルでヘビー級相手に真っ向から勝負し、蹴りを打ち込み、関節を取っていく姿を見たいと強く思う。
「ザ・シサ」の視差
「ザ・シサ」
筋肉少女帯メジャーデビュー30周年記念オリジナルアルバムである。
このアルバムについての感想をここに記したいと思います。
なんせ初めての試みなので、拙い文章であるのはご容赦いただきたい。
そして、皆様それぞれの感想をお持ちだとは思いますが、それもまた「視差」として楽しんでいただければと思います。
そして、この記事はリリースツアー初日の名古屋に参戦してから書いています。
ネタバレ要素はほぼ無いはずですが、入っているかもしれないので、気になさる方はツアー参戦後にでも是非。
なるべく気をつけるんですけどね。
では早速
・セレブレーション
この曲はアルバムの導入曲として、とても素晴らしい役割を果たしていると思う。
まず、筋肉少女帯のライブへ行ったことのある人間、もしくはライブ映像を見たことがある人間にとっては聞き覚えがあり、なおかつテンション爆上がり間違いなしのあのフレーズでガツーンと入っていく。
そして、そこから繋がる正しくセレブレーション、お祝い的で明るくキラキラとしたメロディが自ら30周年をお祝いしているようでとても素敵。
1番にイメージしたのはやはり結婚式。普段から筋肉少女帯という概念と結婚したいと叫んでいる身としては、「あぁ...ついにこの日が来たんだなぁ...」と意味のわからない感想を持ってしまった。(誰も結婚するとは言っていない)
兎にも角にも、ファンファーレ的であり、みんなで拍手をしながら筋肉少女帯を迎え入れたいと思うような、そんな曲。
・I,頭屋
そして、実質アルバムスタートの曲である2曲目。横ノリでとてもダンサブルな曲だなという初聴きの印象。
歌詞的には、筋肉少女帯として歌っているのは、このような役割を与えられたからなんだ、置かれたところで狂い咲くしかないのだという、ちょっとしたお仕事感を感じつつも、それを割り切るどころか、「生まれ変わってもまた追いかけてもらおうか」というように、いくらでも提供してやるぜという思いも見え隠れする。
筋肉少女帯のここ最近の周年曲って「めでてぇな」とかもそうだけど、ちょっとしたくたびれ感を醸し出してはいるんだけど、筋肉少女帯にしか出来ないんだから、俺達がやるしかないんだろ?やってやるよ!という気概を感じられる曲が多い気がする。
頭屋というのは、歌詞にもある通り神事を司る人という意味だが、筋肉少女帯のライブこそが僕の中の神事であり、その神事を司る筋肉少女帯=頭屋ということなのかなと勝手に思ってます。
・衝撃のアウトサイダー・アート
きた...きてしまった...
名古屋でのオーケンギターズ弾き語りライブで、ギターズの弾き語りで聴いた時から、この曲に惹き込まれていました。
城主曰く「西城秀樹っぽい」この曲。この曲の、激しさ、儚さ、美しさってそのまま橘高文彦のイメージと合致するんですよね。(当然城主の魅力はそれだけではないが)
そして、このメロディに載せるこの歌詞ですよ。このオーケンの書くドロドロとした愛の歌詞。恋ではなく愛。これを載せたらもう間違いがあるはずがないんですよ。
僕の一番好きな曲は「境目のない世界」なんですけど、それを聴いた時と同じような感覚を覚えました。
オーケンの書くドロドロの愛。他はどうでもいい。僕とあなたの2人が幸せなら。この世界観が本当に好きすぎてね。
案外色々な曲にそういった歌詞は載ってるんですけど、やっぱり城主のこのメロディに載ると、全身に力が入りますな。
何よりエロい...
技術的にも、エディのピアノがとてもとてもいい。曲の世界観をより如実に表現されていて、やっぱり天才集団ですわ。
そして終わり方もいい。総てが赦されたそんな終わり方も素敵な曲。
・オカルト
これもまたらしい曲。世界を救うよりもあの子が大事という、おそらく普通の人からしたらなんじゃそりゃな曲なんだとは思うけど、僕にとってはもう痛いほど心に染みる曲。
僕のスタンス的にはやはりこの曲の男のように、その子が全てになってしまうんですよ。
そして、神からそんな力を与えられたらやっぱりそこに使ってしまうと思う。
普通に考えたら世界救えよって話なんでしょうけど、僕の中の正義はそこなんだよなぁ。
そして、神様。
神様これ2回目は女の子のために力を使われるの期待して力を与えてるんじゃないかなぁ。
ダメだよーって言いながら、実は応援しているみたいな。
だって世界は最悪粘土こねこねすりゃ作れるしー。力を人間に与えてどう使うか楽しみにしているそんな暇を持て余した神々の遊びみたいな感じかなとも思ったり。
・ゾンビリバー ~Row your boat
こりゃまたサポメンがバリバリ出てくるとんでもない曲ですね。
とくにピアノ。なんじゃこりゃ...ライブでこんな弾き倒せるのか...?まぁこれが弾き倒せるんですよね~しかも満面の笑みで!!
とんでもないっすよこれ。全楽器テクニックというか圧が本当にすごい。
でもオーケンの声という楽器も全然負けてないんだよなぁ。それがこのバンドの強みな気がしますね。
とにかく口気持ちいいよね。特に「ノルウェイの森も野方も」の所とか。
いやぁこのバンドの凄さを改めて感じた曲だなぁ。
あと、個人的にはノルウェイとかボートとかでちょっと水曜どうでしょうを思い出したりもした(全く関係ないけど)
・なぜ人を殺しちゃいけないのだろうか?
恐ろしい曲名にとんでもない爽やかサウンドというギャップ。
なぜ人を殺しちゃいけないのだろうか?という問いは割と哲学的で、答えがないものとされているけれど、そこを周りが迷惑するからっていう答えを持ってくるところがさすがオーケンらしいなと。
そして、ずっと友達が~と言っているけれど、本当に友達なんだろうか。
元恋人とまでは言わないけど、元々好きな女の子だったのではないのだろうか。だから、好きな人を愛しすぎてしまった女の子に対して、悔しさだとかを感じるのではないだろうか。
むしろ僕が殺されたかったとさえ思っているんじゃないだろうか。まぁ人が迷惑するからダメだけど。
・宇宙の法則
そしてこの曲ですよ。美しい。衝撃のアウトサイダー・アートとかとは違う美しさですよね。
とにかく音の綺麗さが際立つ。
そして、オーケンの歌い方も優しく、そしてサビでは少し力強く。この辺のオーケンの歌い方による表現の仕方はやっぱり秀逸だと思う。
「来世でも再びお会いしましょう」でバックに同じようなメロで築城されるお城。これがまた少しの怪しさを連れてきてくれるような、宇宙の綺麗だけではない底知れなさを感じたかな。
最後の英語部分。ここの夜空に浮かぶ満天の星空感は本当に美しいとしか言いようがない。
・マリリン・モンロー・リターンズ
これマジで城主が作ったの?!すげー!!
この曲をこういう曲を城主が作ることの意味ですよね。
所謂ポエトリーリーディングというジャンルを橘高文彦が作るとあぁこうなるのねっていう驚きと感動。
ヘイユーブルース事件のアンサーとのことだけれども、こう来るか!という尊さ。
オーケンってやっぱり語りが上手いというか、今どきポエトリーリーディングの曲は数あれど、ここまで曲と歌詞と歌い方(語り方?)が合致しているのは流石だなぁ。
ここまで来て、新たな筋肉少女帯を常に見せてくれているという喜びですよ。
そしてライブ映えがすごくよかった!ノリノリのオーケンが楽しそうに歌ってて、最後のヘドバンタイムも最高ですね。
ちなみに発売日が自分の誕生日だったんですけど、頭でハッピーバースデートゥーユーって言われたので密やかに喜びを噛み締めておりました...
・ケンヂのズンドコ節
えぇ...なにこれ...
というのが第一印象だったんですけど、こりゃハマりますわ...
一応事前にモチーフは旭のズンドコ節ということで、何となくイメージして聴いたんですけど、もう全っ然違うのよねw
でもなんかハマるというか、依存性があるというか...
普段もなんか知らないけどとりあえずズンドコ節に手が伸びるんですよねぇ...
で、歌詞。まずバチカンはどこから来たのか?バチカンと言えばローマ法王だけど...?うーん、よく分からない。
ただ、良陰謀悪陰謀からの全部お前のせいはなかなかキツイけどその通り。
何をやるも結局自分なのよな。うんうん。
ちょこちょこ小さくズン、ズン、ズンドコって言ってるのが非常に痺れるいいアクセントになってるかなと。
いやぁーライブで聞きたい!ツアーでやるのか?それともリキッドまでお預けか?
・ネクストジェネレーション
所謂定番おじさんと少女の歌。なんだけど一筋縄ではいかないというか、そんなに少女目線じゃないというか。どちらかと言うと、お母さんの心情をどう読むか的な曲な気がします。
個人的には頭の「私はなんでかおじさんバンドが好きで、学校じゃ浮いてるまぁそれはいいんだけどさ」はそのまま自分のことでちょっとおかしかったり。
いや、ほんとまぁそれはいいんですよ、好きなんだもん。浮いていようが浮いてなかろうが、好きなものは好きでいいじゃないのよ!それも視差でしょ?みたいな。
逆にみんなが聴いてるから好きとかってよく分からない。それって自分がその人の事どう好きか言えるのかい?って思ってしまう。
あと、世間は気にしちゃいないもんな。前の話ともかぶるけど、結局対象と自分なわけで、みんながどうとか、常識がどうとかあんまり関係ないんじゃないでしょうか。
人生に正解なんかないと思いますし、敢えて言うなら、自分が選んだ道、自分が妥協せずに突き進む道なら、それが正解なんじゃないかなぁって思ってます。
確かに周りから色々普通はこうでしょとか言われますけど、普通だけじゃつまんないんじゃないかなぁ?と、そんなことを何となく考えてますね。あんまり曲とは関係ないけど。
サビのメロめっちゃ好きです。
・セレブレーションの視差
これはセレブレーションのちょっと違うバージョンにオーケンの言葉が載っているという曲。
いやぁニコ生でも言ってたけど、ここまで最後までみっちり載っている言葉は単純にそれだけでもすごいと思う。
ここでは視差について述べられているけれども、自分が見ているものと、他人が見ているもの、様々な見方があり、様々な意見がある。
これが視差なんだけど、これを理解してちゃんと弁えている人って今どれほどいるのだろうか。
不寛容な時代とよく言うけども、みんなが視差を意識したらちょっとは変わるのではないだろうか。そんな気がしてならない。
魔法の言葉のように使われているけど、実際視差は人が生きていく上でとても大事な言葉なのではなかろうか。
特撮のケテルビーも視差の曲であり、初めて聴いた時からそういう視差の考え方にものすごく納得いった人間としては、やはりこのアルバムはしっくり来るだろうなと改めて。
そして、頭のセレブレーションとの繋がりというものも見事だなと。やっぱり頭にセレブレーションがあってこそ、この曲が活きるんだと思う。
・パララックスの視差
この曲の第一印象は特撮の霧が晴れた日みたいだなぁっていうもの。
エディのピアノもそうだし、オーケンの歌い方も。でも実際は違う。
これは筋肉少女帯だからできる音だと思う。このプログレまっしぐらの曲を作れて、演奏できるって言うのはやはり筋肉少女帯のテクニックの賜物だと思う。
歌詞は意外とさっぱりしているが、アルバムのまとめではなく、全体から少しずつアクセントを散りばめて、謎を残していく。そんな感じを受けました。
すごく不思議な曲。
まとめ
全体的に恋愛成分多めだとは思ったけど、どれも少し違う恋とか愛とかを表現しているから面白いなぁ。
多分全部登場人物違うだろうなと思うもん。
楽曲に関してはもうバカテクな上にこの表現力であり、さらに新しいことにチャレンジしている事の尊さが半端ないっすね。
色々考えさせられるアルバムだなぁと思います。とにかく視差。
今回は30年のまとめとして、こうやって色々な視差があるよとか、もしくはあったよね、みたいなそういう過去と今をぐちゃぐちゃにしたようなアルバムなのかな?とも思ったり。
これは次回作がすごく楽しみになるアルバムですね。そして、オケミスも。
これからの筋肉少女帯にも期待しかない!
来世でもよろしく!!